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岐阜地方裁判所御嵩支部 昭和44年(ワ)25号 判決

原告

小谷秀夫

小谷裕子

右両名訴訟代理人

西村諒一

被告

小沢久夫

外一八名

右一九名訴訟代理人

東浦菊夫

主文

被告らは各自、原告ら各自に対し、一七六万一六〇〇円宛およびこれに対する昭和四四年月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

この判決は第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一、申立

一、原告らの求める判決

(一)  被告らは各自、原告ら各自に対し、それぞれ四二〇万円およびこれに対する昭和四四年四月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告らの負担とする。

(三)  この判決は仮りに執行することができる。

二、被告らの求める判決

(一)  原告らの各請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、主張

一、原告らの請求の原因

(一)  小谷恵司(昭和四二年九月六日生)は、昭和四四年四月二八日午前一一時ごろ、岐阜県可児郡可児町東帷子字上清涼寺一七八一番地にある溜池(八反六畝七歩、以下「本件溜池」という。)において溺死(以下「本件事故」という。)した。

(二)  本件溜池は、底側面を堀下げ、底部に放流口を設置するなどして、人工的に築造された農業用水池である。

(三)  本件溜池には周囲に柵を設置するなど、人の転落の危険を防止すべき設備は施されていなかつたから、土地の工作物の設置または保存に瑕疵があつたものというべきである。

(四)  右恵司は、本件溜池が同人の居宅(以下「原告宅」という。)からわずか二〇ないし三〇メートルの近距離にあつたため同所におもむき、同所で遊んでいるうちに転落して水中に没し、溺死したものである。

(五)  被告らは、いずれも本件溜池の共同占有者であり、かつ、共有者である。したがつて各自民法七一七条一項による損害賠償責任を負担すべき地位にある。なお、占有者の責任と所有者の責任とは競合的に成立するものと解すべきである。

(六)  恵司は死亡当時一才七ケ月の男子で、生来健康であつたから、二〇才から六三才まで(四三年間)は就労稼働することができたところ、昭和四二年全産業常用労働者の一人当たり一ケ月平均賃金は約三万九二〇〇円(第一九回日本統計年鑑三九三頁による。)であるから、生活費をその五〇パーセントとしても残余の五〇パーセントは純益として所得しえたはずであるのに、死亡により右得べかりし利益を失つた。

右逸失利益額の死亡当時における現在価は、複式年別ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除すると約五三〇万円と算出される。

よつて同人は被告らに対し五三〇万円の損害賠償請求権を取得した。

(七)(1)  原告らは恵司の父母であつて、同人の相続人である。

(2)  原告らは同人の被告らに対する債権を二分の一宛すなわち二六五万円宛相続した。

(3)  原告らは本件事故により同人の葬儀費用一〇万円の支出を余儀なくされ、各五万円宛の損害を蒙つた。

(4)  原告らは本件事故により最愛の独り子を奪われ甚大な精神的苦痛を受けたがその慰藉料額は各一五〇万円宛に相当する。

(八)  よつて原告らは各自、被告ら各自に対し、土地工作物の占有者もしくは所有者に対する損害賠償請求として前記(七)の(2)ないし(4)の合計額四二〇万円宛およびこれに対する不法行為の日である昭和四四年四月二八日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求の原因に対する被告らの答弁

(一)および(二)の事実は認める。

(三)の事実中本件溜池の周囲に柵が設置されていなかつたことは認める。しかしながら、本件溜池は子どもなどの近より難い場所にあるのであるから柵などを設置する必要はない。すなわち、本件溜池は原告宅の西方に位置するのであるが、右居宅から町道の東端まで約一四メートル、町道の幅員約四メートル、町道の西端から本件溜池の東端まで約一三メートルの位置関係にあり、町道と本件溜池との間は小高く堤防状になつていて雑木、笹、雑草等が繁茂し、それが危険防止の設備として機能し、その間には人工的な道路はなく、わずかに幅員約一〇センチメートルのけもの道があるにすぎない。したがつて、本件溜池に子供が近づいたりその付近で遊んだりすることは予想されない状態にあつたものである。右の次第であるから、本件溜池に柵が設置されていなかつたからといつて土地の工作物の設置または保存に瑕疵があつたということはできない。

(四)の事実は知らない。

(五)の事実は否認する。被告らは本件溜池の受益者ではあるが共同占有者ではなく、共有者でもない。すなわち、本件溜池の登記簿上の所有者は「中切組」となつているところ、中切組(中切部落)においては、本件溜池を他に処分するについては部落の農業を営む世帯主全員の同意を要すべきことが定められており、その管理は右世帯主の中から管理者を選任し、その運営は多数決原理によるものと定められているのであるから、右部落構成員の本件溜池に対する関係は、総有と解すべきである。したがつて個々の部落構成員は溜池の使用収益権能のみを有しこれに対する所有権(共有持分権)ないし占有権を有しないのである。右のとおりであるから、本件溜池に関する責任追及は一種の法人格のない権利主体である「中切組」に対してなされるべきであつて、個々の部落構成員である被告らに対してなされるべきではない。

(六)の事実については、恵司の年令、就労稼働年数、統計による平均賃金額、生活費の控除割合を認める。

(七)の事実中(1)の事実は認める。同(2)の主張は争う。なお、原告らが恵司の逸失利益の損害賠償請求権を相続したとしても、同人の就労前の養育費用は同人の労働能力形成のために不可欠の投下資本であるから、右費用相当額は請求額から控除されるべきである。同(3)の事実は知らない。同(4)の事実は知らないが、かりに精神的苦痛を受けたとしてもその慰藉料額は高きに失する。

(八)の主張は争う。

(1) かりに、本件溜池に柵が設置されていなかつた事実がその設置または保存上の瑕疵に当たり、被告らがその共同占有者または共有者であり、かつ原告らが損害を蒙つたとしても、その責任は本件溜池の占有者または所有者に帰せしめるべきではない。すのわち、本件溜池は他の二つの溜池と共に約二〇〇年前農業用水確保のために付近を山で囲まれた奥地に築造されたものであつて人の近寄ることなどは到底考えられなかつたものであるところ、昭和三八年に至り可児町が付近を開発し三ツ池団地と称する町営住宅を建築し、そのうちの一戸に原告らおよび恵司が入居したのである。したがつて本件溜池に柵の設置されないことが危険の状態に立ち至つたとしても、その危険状態は本件溜池の占有者または所有者によつて作出されたものではなく、町営住宅を建築した可児町またはこれに入居した原告らによつて作出されたものである。したがつて危険発生防止義務は可児町または原告らが負担するとするのが公平の原則に合致するものというべきである。

(2) かりに被告らに損害賠償義務があるとしても、本件事故は原告らが恵司に対する養護監督義務を怠つたことによつて生じたものであるから、損害額について過失相殺されるべきである。

第三、証拠〈略〉

理由

一、小谷恵司(昭和四二年九月六日生)が昭和四四年四月二八日午前一一時ごろ本件溜池において溺死したことは当事者間に争いがない。

二、本件溜池が農業用水池として人工的に築造されたものであることは当事者間に争いがない。したがつて本件溜池は民法七一七条所定の土地の工作物に該当する。

三(一)  そこで、本件溜池の設置または保存に瑕疵があつたか否かについて判断する。〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

恵司が死亡した当時における本件溜池およびその周囲の状況は次のとおりである。

本件溜池は八反六畝七歩の地積を有し、その北側および南側には堤防が築かれ、西側には山林、東側には松林があつた。この松林は溜池の南東角付近は小高くなつていたが北方に進むにつれて低くなり北東角付近は後記町道とほぼ同じ高さであつた。溜池の内側は約四五度の傾斜面ですり鉢状に堀下げられており、田植時期を控えて農業用水が満水近く貯水されていた。溜池の東側にある松林の東側には町道が南北に伸びており、その東側には通称三ツ池団地と呼ばれる二五戸の町営住宅群があり、原告宅はそのうちの一戸であつて本件溜池に最も近い位置にあつた。その距離関係は次のとおりである。(ただし、町道の幅員が本件事故後に拡張されたので距離関係は現在のそれによる。当時における町道の幅員は約四メートルであつた。)

(イ)  溜池の北東角から町道西端まで 約11.60メートル(松林の中を幅員約1.5メートルの小道がある。)

(ロ)  町道の幅員 約8.25メートル

(ハ)  町道の東端から原告宅まで 約10.50メートル

(二)  ところで、溜池の設置または保存の瑕疵の有無を判断するに当たつては、当該溜池が転落の危険防止設備を含め溜池として使用するための本来の設備を具備しているか否かを検討すべきである。そして、その危険防止設備の程度は危険の程度に応ずべきことはいうまでもない。換言すれば、通常は幼児が監護者の手を離れて独力で接近することは到底予想し得ないような場所にある溜池については、危険防止設備は、正常な危険認識能力と危険回避能力を有する者を念頭において設置すれば足りるというべきであるが、他方、これらの幼児でも独力で接近しうるような場所にある溜池については、幼児の接近を阻止し転落の危険を防止すべき設備を施さない限り、溜池の設置または保存に瑕疵があるというべきである。したがつて溜池の設置または保存の瑕疵の有無の判断に際しては、当該溜池の形状のみに止まらず周囲の人家の状況についても考慮しなければならない。そして、幼児の接近の可能性は溜池の設置当時から存した場合であるとその後に生じたものであるとを問わないというべきである。したがつて、溜池の設置当時にあつては幼児の接近の可能性がなく、設置または保存に瑕疵がない場合であつても、のちに周囲に住宅が建築され、幼児の接近の可能性が生じた場合には、その時点から当該溜池には設置または保存に瑕疵が発生したというべきである。そして右のように、瑕疵が占有者もしくは所有者以外の者によつて作出された場合であつても、占有者および所有者は民法七一七条一項所定の順序に従い瑕疵によつて生じた損害を賠償する責に任ずるべきである。

(三) これを本件についてみると、本件溜池の周囲に柵が設置されていなかつたことは当事者間に争いがない。そして、本件溜池は四五度の傾斜面により堀下げられたすり鉢状の用水池であるから周囲から転落すれば直ちに水中に没入し生命に危険を及ぼすものであり、また、幅員四メートルの町道を挾んで約三〇メートルの場所に原告宅がありその付近には原告宅を含め二五戸の住宅があつたところ町道から本件溜池に至る松林の中には平担の小道があつたのであるから監護者の手を離れた幼児でも容易に右溜池に接近し得たものである、といわなければならない。したがつて、本件溜池は、少くとも幼児の生命に対する危険防止設備を欠いている点において、設置または保存に瑕疵があつたといわざるを得ない。

(四)  また、右の事実関係からみるときは、恵司が溺死したのは本件溜池に転落したことによるものと推認される。

四、次いで、被告らが本件溜池の占有者であるか否かについて判断すると、〈証拠〉によれば、本件溜池は可児町東帷子地内の中切部落、古瀬部落、菅刈部落の一部の農家の者らの農業用水池として設置され、これらの者が共同して右用水を利用して農耕をしていること、被告らはいずれも右用水の利用者であること、溜池の管理は毎年利用者の中から役員を選出し右役員が水漏れや堤防の決壊等を防止するため見まわりなどをしていることがそれぞれ認められる。

右事実に基づけば、被告らは他の利用者とともに本件溜池を自己のために支配しているものというべきであるから、被告らは本件溜池の共同占有者であると判断される。したがつて、被告らは各自民法七一七条一項本文により本件溜池の設置または保存上の瑕疵によつて生じた損害につきこれを賠償する義務を負うべきである。

五、そこで損害について判断する。

(一)(1)  まず、恵司の逸失利益を算定する。算定の基礎となる次の事実は当事者間に争いがない。

(イ) 死亡時の年令 一才七ケ月

(ロ) 就労稼働年数 四三年(二〇才から六三才まで)

(ハ) 一ケ月平均賃金 三万九二〇〇円

(昭和四二年全産業常用労働者の賃金)

(ニ) 一ケ月生活費 五〇パーセント

右事実に基づけば、恵司は、その年令を計算上二才とすれば一八年後に二〇才に達したときから六三才に至るまでの四三年間に毎月三万九二〇〇円から生活費五〇パーセントを控除した一万九六〇〇円の純益を得たであろうところ、死亡によりこれを喪失し同額の損害を蒙つたことになる。そこで複式年別ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して右損害額の死亡時における現在価を求めるとその額は三五二万八〇〇〇円と算出される。

(2)  原告らが恵司の父母として同人の相続人であることは当事者間に争いがない。したがつて原告らは同人の右損害賠償請求権を二分の一宛すなわち一七六万四〇〇〇円宛相続したものである。

(3)  ところで、被告らは恵司就労前の養育費相当額は原告らの右相続金額から控除されるべきであると主張する。この点については議論の存するところであるけれども、当裁判所はこれを積極に解する。(下級裁判所民事裁判例集二〇巻一・二号七六頁参照)右養育費の額は成人に達するまで一ケ月平均五〇〇〇円とみるのが相当と考えられるから、同様に死亡時における現在価を求めるとその額は七五万六〇〇〇円と算出される。

(算式)

5,000(月額)×12(年間月数)×1260(一八年係数)=756,000(現在価)

そして原告らの負担割合は各二分の一宛すなわち三七万八〇〇〇円宛とみるのが相当である。

(4)  したがつて、原告らの相続額は右(2)から(3)を控除した一三八万六〇〇〇円宛と算定される。

(二)  原告小谷秀夫本人尋問の結果によれば、原告らは葬儀費用として一〇万円を支出したことが認められるので、原告らは各五万円宛の損害を蒙つたこととなる。

(三)  慰藉料については、原告小谷秀夫本人尋問の結果によれば恵司は原告らの一人息子であつたことが認められるから、原告らが同人の死亡により多大な精神的苦痛を受けたことは明らかである。そしてその慰藉料額は原告ら各自一五〇万円宛をもつて相当と認める。

(四)  右により原告らの損害賠償債権額は、各(一)ないし(三)の合計額二九三万六〇〇〇円と算定される。

(五)  次いで過失相殺について判断する。恵司が当時一才七ケ月の幼児であつたことは前示のとおりであるから、その両親である原告らがその監護義務を負うことはいうまでもない。しかるところ、原告小谷秀夫・被告玉置銀市各本人尋問の結果および当裁判所の検証の結果によれば、原告らは昭和四〇年六月ごろ前示三ツ池団地に入居し昭和四二年九月六日恵司をもうけたが、原告宅から本件溜池までは垣根その他幼児の通行を妨げるための障害物は何一つ存在しないのに、本件事故当日は恵司を庭に遊ばせて監視を怠つていたこと、入居後本件事故に至るまで本件溜池の管理者などに対し転落の危険防止の施設等の設置を申入れたこともなかつたことがそれぞれ認められる。してみると本件事故の発生については恵司の監護者である原告らの過失も相当程度その原因行為となつていると考えられる。したがつて右の点を斟酌すると原告らの損害額は前示認定額の一〇分の六である一七六万一六〇〇円宛に止めるのが相当である。

六、よつて原告らの請求はいずれも一七六万一六〇〇円宛およびこれに対する不法行為の日である昭和四四年四月二八日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当としてこれを認容しその余を失当として棄却することとして、訴訟費用の負担、仮執行の宣言につき民事訴訟法九二条、九三条、一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(山口忍)

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